🏖「海乃 るり」に出会えなければ🏖 2020/11/03 20:22 Share on Facebook Copy URL Report 🏖「海乃 るり」に出会えなければ🏖ふとあなたは22/7に出会えなかった世界線を想像したことはあるだろうか、私はイベントを終える度に思い。その度、恐怖に戦く。そして思い出す度に彼女や彼女を支えるグループへの尊敬や感謝の念が溢れ出てしまう。「リアクションを強要させる」他人のオンライントークレポートをTwitterで見ると自分 が馬鹿馬鹿しくなるが、それは 同世代ゆえの感覚なのかもしれない。Another sideこの自粛期間なにを満喫していただろうか?今自分が胸を張って語れる趣味は?今を支えてくれる友人はどうやって知り合った?日々もう一歩頑張ろうと思える傍に誰がいる?上記要因の全てに22/7と海乃るりさんがいて、オンライントークの数秒・ライブの数時間だけではなく、存在自体に日々救われており今を生きる活力の最前線に仁王立ちしている。「私のお陰じゃないよ〜」なんて謙遜を会う度言われ辟易するのも飽きるほどされたが、オンライントークの方がより顔に注目できるので、そう言いながらも満更でもない顔で謙遜していたこと知り「今までの茶番も活力になってたらな」なんて思ったりするのだ。そんな思いを抱えつつ、少ない機会でもバカ正直にオンライントークは最初と締めで「本日もよろしくお願いします」や終幕の感謝は欠かさない。「挨拶」というものは思いが籠ってなくても言った時点で少なからず正の価値は生まれる。その逆に「ありがとう」にどれだけこちらが思いを込めようと込めなかろうと相手に伝わる誠意は千差万別だ。レポートとしては決して映えないがこういう挨拶のやりとりがあっての「無礼」な行為が成立すると思っている。そのトークの「挨拶」をすると、いつも彼女は「よろしくー」とか「また来てくれたねー」と笑う。それがどんな「挨拶」や「社交辞令」だったとしても私は「私のために費やしてくれた思考」や「その言葉を返してくれた労力」が凄まじく嬉しいのだ。私はオンライントーク全盛の今高辻麗のInstagramに上がっている「るりうららでジェスチャーゲーム」を見返す。「あの表情で」話してもらえるトークを増やすのが私の当面の目標。滅びろ出オチ接近!