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メリシャカだから【仏所行讃】現代意訳

メリシャカだから【仏所行讃】現代意訳

大月氏国(クシャーナ朝)カニシカ王(在位144年頃 - 171年頃)に拉致られ帝師となった【天才仏教詩人】馬鳴(アシュヴァゴーシャ)による仏伝。一大文学として確立した作品で、高く評価されている。

『ブッダ・チャリタ』(Buddhacarita)
仏陀の生涯を描いた詩。サンスクリット本は後半欠。
漢訳は『仏所行讃』5巻28品、曇無讖訳。

作者:馬鳴菩薩(アシュヴァゴーシャ)
バラモンの家系に生まれ、学僧として活躍し議論を好んだ。当初は仏教を非難していたが、付法蔵第11人目の富那奢(または第10人目の脇比丘とも)に論破され、舌を切って謝罪しようとしたが、諭されて仏教に帰依し布教するようになった。

聡明で智慧があり、中インドの華氏城(パータリプトラ)において、天賦の詩才をもって民衆を教化した時に、釈迦の弟子であるラッタパーラ(サンスクリット語: Rāṣṭrapāla、頼吒惒羅〈らいたはら〉)をモデルとして戯曲を作り演じたところ、多くの市民を教化し、皆それを聞いて無常を悟り、500人もの王子や人々が出家したため、王はついにこの戯曲を演じることを禁止したといわれる。

グプタ朝において進められた仏典のサンスクリット語化の先駆者として,カービヤ(宮廷詩)調による釈迦の伝記《ブッダチャリタBuddhacarita》(漢訳名《仏所行讃》)などを作った。

カニシカ王
カニシカ王が仏教を保護したことは多くの仏典に記録されている。王は各地に仏塔を建造し、彼の治世に仏典の第四回結集(第三回とも)が行われたとも伝えられている。

同じく仏典の記録によれば、王は中部インドに遠征軍を派遣し、攻撃させた。同地の王は和平交渉を行い、カニシカ王は3億金を要求した。同地の王がこれを支払い不可能であると回答すると、カニシカ王は2億金を減額する代わりに、宝の「仏鉢」と、サーケータ出身の詩人アシュヴァゴーシャ(漢:馬鳴。弁才比丘)を送るように要求。アシュヴァゴーシャは同地の王に、広く諸国に仏道を弘める道理を説き勧めた。こうしてカニシカ王の下に来たアシュヴァゴーシャは、カニシカ王の手厚い待遇を受け、大臣マータラ(漢:摩吒羅)、医師チャラカ(漢:遮羅迦)と並んで「三智人」とされ、カニシカ王の「親友」となり、カニシカ王の精神的な師となった。

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